太宰治「走れメロス」「駆け込み訴え」読了。
こんにちは、レモンです。
最近、読書レビューの記事をかけていなかったので。
太宰治の「走れメロス」と「駆け込み訴え」を、最近読んだので、それについてのレビューをしていきます。
文豪ストレイドッグスは、現在「きのうの影踏み」を読み終え、今はルイーザ・メイ・オールコットの「若草物語」をよんでいるとちゅう。
*太宰治「走れメロス」「駆け込み訴え」のネタバレがあります。未読の方はご注意ください。
さて、太宰治の代表作と言える(レモンも初めて太宰治を知ったのはこの本でした)「走れメロス」と「駆け込み訴え」。
両方とも短めの短編(特に走れメロス)なので、サラサラ読めました。
でも、短編2つでもやっぱり感じるのが、太宰治の文体の変わりよう。
「走れメロス」では純情な農民が人を信じる様、人の心の機微が描かれ、「駆け込み訴え」ではユダのイエス・キリストを裏切るまでの経緯...もとい、彼の「信仰」であったのではないかと思わせるほどに、ユダの愛と、そしてそれがどのように変化していったのかが鮮明に書かれています。
「女生徒」「人間失格」でも同じことを思いましたが、太宰治って、人の感情をよく表す文章を書いている。
それも、浮き沈みするような感情、だんだん落ちていく感情、揺るがぬ感情...。
自分が「こうなりたい」「こういう悩みがある」...とまでは行かないにせよ、あまりに自然すぎて共感でき、そしてスラスラ読みすすめることができる。
人の心を書くのって、難しいことのはずなのに。
太宰治の本では、本当に自分がそこにいるかのように、その人になったかのように。
太宰治の本は、色々多彩な登場人物の心情をきれいに描いているからこそ、名作足り得るのかもしれない。
落ちぶれていく人間の心情にせよ、友を救おうとする人間の決意にせよ。
そのときどきの人の感情をよく捉え、太宰が一人称で表すと、まるで自分がその人物になったかのような錯覚を覚えさせてくれます。
いっそのこと、太宰治が3人称で物語を書いてみたらどのような話になるのだろう...ときになるレモンです。
太宰マニアになりたいわけではないですが、それでも!
一応いくつかの文豪の本を読んでみていますが、太宰治の本は特に印象的。
でも、ほかの文豪の本も読み進めたいです。他の文豪の本にも、太宰と違う衝撃を見つけたい。